ムシューの思うショコラ
■ショコラ(チョコレート)
ショコラは、メキシコでカカオ豆をすりつぶして食べていたそうです。
通貨のように扱われカカオ豆を豊富に持つお金持ちは、智恵とパワーを与えるとのふれこみでチョコレートドリンクを作っていたそうです。高価な物だったんでしょうね凄いですね。そのチョコレートドリンクを飲んでみたかったのでレシピを探したのですが見つかりませんでした(笑)
コロンブスは、カカオ豆を発見した最初のヨーロッパ人で征服者はカカオ豆を木になるお金ととして価値あるものとし、スペインの歴史家ヴァルデス君は100粒のカカオ豆で一人の奴隷を買うことができたと本に記しているそうです。その本は見たこともないしスペイン語は読めません(笑)
歴史の本で読んだことがあるものが GODIVAのホームページ、チョコレート&歴史ページに載っていました。それは、1519年最も多くカカオ豆を所有していたアステスカ帝国の皇帝モンテスマは、このチョコレートドリンクが恋の媚薬であると信じ、とりわけハーレムに入る前はチョコレートドリンクを飲んだと云われています。僕はこれを一生懸命フランス語の単語一つ一つ調べながら訳したのを覚えてます、20代後半かな~?感動と興奮が入り混じったような(笑)ベルギーのゴディバに行きたくなりました。
1528年には、スペイン人のコルテス君がチョコレートドリンクに入れていた香辛料ブラックペッパーとカイエンヌペッパーを砂糖に変えてレシピを作り変えたとあります。
そうです1000年頃から1528年までの約528年間、チョコレートドリンクは辛味の効いた飲み物だったんですね~。でもショコラ(チョコレート)と聞くとあま~い食べ物や恋を連想しますよね。
■1657年チョコレートハウス出現
コロンブスは、メキシコからスペインに持ち帰ったみたいだが、どうしてスペインだったんでしょうね。コロンブスってイタリア人じゃなかったかな?!
スペインはなんと1世紀以上カカオ豆を秘密にしていたそうです。農園を作りチョコレートドリンクを新しい飲み物として広めたのです。
ところがとうとうイタリア商人に見つかり、この秘密のレシピをイタリアに伝えたところからヨーロッパに広がりました。
1657年にエリートが集まるチョコレートサロンがロンドンにオープンしました。
上流階級の間で評判になりカカオ豆の価格が法外になったのですが、やがて価格も下がり英国の至る所にチョコレートハウスができ、カフェやサロンドテ、パブにとデビューしていったそうです。スペイン人のコルテス君が砂糖に変えてレシピを作らなかったら、今の時代でもカカオは薬のように扱われていたのかな~媚薬(笑)
■ショコラは飲み物?
そうです!飲み物だったのです、お茶、紅茶と同様に永年飲み物だったんですね~
当時はレシピは物凄い貴重な存在だったのが伺えます。
チョコレートサロンが出現した20年後、イギリスのパン屋さん達がケーキのレシピにココアを加えたところから、はじめてチョコレートが固形物になりました。そしてヨーロッパの至る所で様々な固形のショコラが広まりました。
古い本にはフランスではカカオと表現していたのですが、ショコラと表現したレシピがありますので多分固形物になったことからショコラと表現したのではと勝手に思って想像を膨らませています。
スタイリッシュなチョコレートドリンクはこうして素晴らしい甘いお菓子と変貌を遂げたのです。
一つの食品に産まれるまでに先人の素晴らしい功績があるのですね、尊敬いたします。
僕が思うショコラはやっぱりゴディバでした。
現在の日本にはショコラティエが沢山いてお店も沢山できました。昔も今もショコラは高価な食べ物ですが色々なアソートから一粒一粒大切に食べる楽しみが自然と夢を膨らませ口福の世界にいつの間にか導かれる、そんなショコラ。
たまにはいいですねこんな体感も…
ゴディバ公式ページ